世界の至宝・笹山縄文

笹山遺跡で行われた第10次調査の成果速報を十日町市博物館が小企画展として展示が行われました。

企画展は大好評のうちに終了いたしました。たくさんのご来場ありがとうございました。

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調査概要
第9次となる笹山遺跡の調査は、平成24年7月から8月中旬にかけて一般の方々による発掘を経て9月上旬から10月上旬に作業員による発掘を行いました。
平成23年度に行われた第8次調査の際に発見された竪穴式住居跡を含む範囲を調査し、その内部を発掘したところ、地床炉と柱穴を発見しました。しかし、状態は余り良くなく、また、調査区の範囲が限られていたために全体像は分かりませんでした。
新たに設定された区においては、新たに竪穴式住居跡のほか、地床炉跡や土杭跡も発見されました。

竪穴式住居跡
竪穴式住居跡の内部には「ベッド型遺構」と呼ばれるテラス部分や柱穴跡、石囲炉跡が発見され、この時期の竪穴式住居の特徴が現れています。また、今回発掘された住居跡より発見された土器については、火炎型土器に破片とともに「塔ヶ崎類型群」と呼ばれることがある、上部に派手な装飾をつけた土器である事が分かりました。

塔ヶ崎類型群(とうがさきるいけいぐん)
この土器は縄文時代中期中葉後半の火炎型土器の終わり頃に作られたものです。よって、この土器を伴った竪穴式住居跡は同時期に作られたと推測する事ができます。
しかし、この土器が火焔型土器を伴っていたかについては諸説あり、より精密な判断が必要とされています。また、このタイプの土器を始め、良好な状態での竪穴式住居跡の発見はそれ以前に行われた第1次~第7次調査では無かった事であり、本調査が笹山遺跡の調査の上でも重要な発見であった事は確かです。

更なる夢を
本調査の後の調査となる、第10次調査が平成25年に引き続き行われております。

 

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(参考)塔ヶ崎類型群と呼ばれる土器は右上のような形をしています

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十日町市は新潟県の南東部にあります。市の東部には魚沼丘陵、西部には東頸城丘陵が南北にのび、これらに挟まれた盆地の中央を信濃川が南から北に流れています。信濃川の両岸には数段の河岸段丘が形成され、数多くの縄文時代遺跡が存在します。

遺構配置図

笹山遺跡は博物館の北東約3km、信濃川右岸の河岸段丘上に位置します。遺跡は緩斜面上に立地し、標高は170~180mです。遺跡内には市営笹山野球場と陸上競技場などがあり、一部は市指定史跡として保存されています。また、野球場正面入口付近には、標柱・説明板とモニュメントが設置されています。

遺跡は野球場と陸上競技場などの建設に伴い市教育委員会により、昭和55~60年(1980~1985)の間に7回にわたる発掘調査が行われました。これらの調査により合計15,460㎡の範囲が調査され、縄文時代中・後期の集落跡と中世の居館跡が発見されています。ここでは、縄文時代の笹山遺跡について解説します。

縄文時代の遺構は炉跡(竪穴住居)112基、配石遺構1基、土坑5基、埋甕36基などが発見されました。これらは、長軸110m・短軸100mの馬蹄形に配置されています。炉跡は、石で囲って組まれた石組炉です。石組炉の中には、土器が埋められているものもあります。炉の中が石でさらに分割されたものは、複式炉と呼ばれています。複式炉にも土器が埋められていますが、中でも小石が敷き詰められたものが特徴的です。土坑は1ヶ所でまとまって発見されており、貯蔵穴として使われていました。埋甕は幼児用のお墓で、蓋石として平らな石がのせられているものもあります。

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縄文時代の遺物は土器、土製品、石器、石製品と多彩です。土器は中期前半~後期前半のものが出土していますが、主体を占めているのは中期(約5,500年前)の中頃から終末の土器です。およそ250点の土器が復元されており、これらの中でも特徴的なものが火焔型・王冠型土器です。火焔型土器はその内側に炭化物(オコゲ)が付着した例が見られることから、煮炊きに使われた土器であることがわかっています。しかし、その優美な文様装飾から、祭器であると考えられています。その他には、北陸・東北・関東地方からの影響を受けた土器があります。これらも火焔型土器の誕生や笹山遺跡の他地域との交流を解明する上で重要です。

土製品はミニチュア土器、土偶、土製耳飾、土製円盤、土製三角とうなどが出土しています。土偶の中では、三角形土偶と呼ばれる小形の土偶が特徴的です。土製三角とうはその用途がよくわかっていませんが、三角形土偶と合わせて火焔型土器と共に出土する特徴的な遺物です。これらの土製品は、縄文人の衣服や祭祀の様子を私たちに伝えています。

石器には狩猟具として石鏃、石槍、石錘、浮子、加工具として石錐、石斧、剥片石器、砥石、調理具として石匙、磨石、凹石、敲石、石皿などが出土しています。これらの他に、三脚石器、板状石器がありますが、用途はよくわかっていません。これらの石器には、縄文人の道具箱の中身一式がそろっています。

石製品は石製垂飾、石棒、石製三角とう、穿孔石製品などがあります。石製垂飾は首飾(ペンダント)です。石製三角とう・穿孔石製品は用途不明ですが、石棒と同様に祭祀に使われた宗教的な道具と考えられています。

出土した土器

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平成11年(1999)6月7日、火焔型土器など深鉢形土器57点をはじめとする笹山遺跡出土品計928点が国宝に指定されました。新潟県にとって初の国宝指定です。また、縄文時代の遺物では長野県茅野市棚畑遺跡出土の土偶(縄文のヴィーナス)についで2番目、縄文土器では第1号の指定となります。

火焔型土器は縄文時代を代表する土器のひとつで、新潟県内でも中魚沼郡津南町から長岡市にかけての信濃川上・中流域で数多く発見されています。国宝に指定された深鉢形土器57点のうち火焔型土器は14点、王冠型土器は3点です。火焔型土器の中でも指定番号1の土器は、平成4年(1992)に「古代の日本展」(ワシントンD.C.)、平成10年(1998)には「縄文展」(パリ)、そして、平成13年(2001)には「神道展-古代日本の聖なる美術-」(ロンドン)に出展されるなど、日本の原始美術を代表する土器として世界的に絶賛されました。また、国内では小・中学校の歴史教科書などで取り上げられています。

<国宝指定品一覧>

記号番号  考 第39号

指定年月日  平成11年6月7日

名称・員数  新潟県笹山遺跡出土深鉢形土器 57点

附(つけたり)

浅鉢形土器  5点   石 斧 409点   石 皿  27点   石製垂飾 3点

小形土器   7点 石 鏃  28点   砥 石  6点   石 棒 7点

土  偶   34点   石 槍  13点   石 錘   1点   軽石製浮子  1点

土製耳飾   20点   石 錐 4点   三脚石器 6点   石製三角とう 1点

土製円盤   3点   石 匙  2点   板状石器 3点   穿孔石製品 2点

土製三角とう 3点   磨石類 268点   剥片石器 10点 ベンガラ塊  8点

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1979年(昭和54) 十日町市博物館オープン(4/7)

1980年(昭和55) 市道建設に伴う笹山遺跡の第1次発掘調査

1981年(昭和56) 市営野球場建設に伴う第2次調査

1982年(昭和57) 第3~5次調査・火焔型土器(指定番号1)出土(7/8)

1984年(昭和59) 市民スポーツハウス建設に伴う第6次調査

1985年(昭和60) 市営陸上競技場建設に伴う第7次調査

1991年(平成3)  出土品928点の県指定文化財指定(4/19)

博物館考古展示室オープン(6/7)

記念講演「縄文の芸術と文化」 梅原 猛氏(10/19)

1992年(平成4) 出土品928点の国重要文化財指定(6/22)

指定記念講演「縄文芸術にせまる」 小島俊彰氏(7/4)

「古代の日本展」出展(ワシントンD.C.・8/9~11/2)

笹山遺跡の市指定史跡指定(12/3)

1994年(平成6)  博物館開館・友の会設立15周年

博物館常設展示室リニューアルオープン(10/8)

「越後あんぎんシンポジウム」(11/12)

記念講演「縄文のこころ」 宗 左近氏

1996年(平成8)  秋季特別展「縄文の美-火焔土器の系譜-」(9/28~10/27)

記念講演「火炎土器の系譜」 今福利恵氏(9/28)

「火焔フォーラムと縄文の夕べ」(10/12・13)

記念講演「縄文を語る」 高橋克彦氏

1997年(平成9)  火焔型土器(指定番号1)の歴史教科書掲載(小学6年生)

1998年(平成10) 『笹山遺跡発掘調査報告書』刊行

「縄文展」出展(パリ・9/29~11/28)

1999年(平成11) 博物館開館・友の会設立20周年

笹山遺跡国宝特設展示オープン(4/17)

出土品928点の国宝指定と梅原猛名誉館長の就任(6/7)

指定記念講演「越後・新潟・火焔型土器のクニ」 小林達雄氏(7/3)

特別展「縄文の美Ⅱ―火焔型土器の世界―」(8/21~10/10)

2000年(平成12) 指定1周年記念講演「縄文文明の意味」 梅原 猛氏(7/8)

2001年(平成13) 「神道展―古代日本の聖なる美術―」出展(ロンドン・9/5~12/2)

2002年(平成14) 土器指定品の解体修理事業開始

2004年(平成16) 中越大震災・土器指定品37点破損(10/23)

2009年(平成21) 開館・友の会設立30周年・国宝指定10周年

第10回・笹山じょうもん市(6/7)

土器指定品の解体修理事業完了

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「火焔土器」は、昭和11年(1936)に近藤篤三郎氏によって長岡市の馬高遺跡で発見され、復元された一つの土器に付けられた愛称です。その形が燃え上がる焔に似ていたことから、この名称が生まれました。その後、この「火焔土器」と似た特徴をもつ土器が発見されるようになり、これと区別して現在では「火焔型土器」という用語が広く使われています。また、火焔型・王冠型土器と共に出土し、これらと共通の雰囲気をもつ土器を合わせて「火炎土器様式」ととらえ、「火炎土器」という用語を使用する研究者もいます。

火焔型土器出土遺跡(●)の広がり

火焔型土器の最大の特徴は、口縁部に付く鶏頭冠把手と鋸歯状口縁、そして、縄文を使用せず隆起線文と沈線文によって施された浮彫的な文様です。これらの文様により、頸部と胴部上半にはS字状渦巻文、胴部下半には逆U字状文が描かれています。その他、鶏頭冠把手の間には袋状突起、鶏頭冠把手の下には眼鏡状突起が付けられています。王冠型土器も基本的に文様については火焔型土器と同じですが、鶏頭冠把手の代わりに短冊状の把手が付き、鋸歯状口縁でなく波状口縁となっています。

火焔型土器は富山・長野・山形県などでも確認されていますが、そのほとんどが新潟県内、特に信濃川上・中流域(津南町・十日町市・長岡市)で集中的に出土しています。その特異な装飾性から研究当初より、祭器として使用されたと考えられていました。内面に炭化物(オコゲ)が付着した例が多く見られることから、煮炊きに使われた土器であることは間違いありませんが、日常品でなく祭事など特別な日にのみ使用された土器と言われています。なお、遺跡出土の土器全体に占める火焔型土器の割合は5%以下です。

作成:十日町市博物館学芸員 菅沼 亘

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The Sasayama site is located at Nakajo,Tokamachi City,Niigata Prefecture.

The site is situated on the right bank of the Shinano River terrace in central Japan,

170 to 180 meters above sea level.

The excavations were carried out seven times during 1980 to 1985, by the Board of Educations of Tokamachi City, prior to the construction of the municipal baseball and athletic ground. The total excavation area extended to 15460 square meters. The excavations uncovered the settlement of the Middle Jomon Period and the Medieval Period.

Middle Jomon Period (4,500~3,500y.B.P)

The features uncovered are 112 fireplaces, 6 pit 39 buried jars. The cluster of fireplaces are circularly arranged,and it measures 110 meters in diameter.

Most of potteries belong to the middle part and the latter half of the Middle Jomon Period. In particular,”Kaen type”vessels(火焔型土器)represent the potteries of the Middle Jomon Period. The characterristic elements of this vessel include, for instance, flame-shaped form, four cockscomb-shaped grips on the rim, spiral patterns decorating with raised clay bands on the body surface. Most of vessels of this type have been found in the middle basin of Shinano River. “Kaen Type” vessels are unearthed along with “Okan Type”vessels(王冠型土器).The denomination of this vessel derived  from a Japanese equivalent word “crown”.

Since they have been found in increasing numbers, with soot and carbonized materials adhered to the inside, the vessls are thought to have practical wares for daily use.

The excavations yielded 9331 lithic artifacts, including allowheads(82) , points(20) , drills(9) , scrapers(63) , chipped axes(952) , polished axes(145) , pebble tools(5) , grinding stones(823) , grinding slabs(73), floats(3), stone rods(7), pendants(3), cores(58), flakes(6928), etc.

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